family’s diary

主人が約12年前に他界、在学中の子ども達3人の現役シングルママです。子どもの事、家族の事を主に綴ります。

主人と死別して、ひとり親になって。~2週間

Episode1

結婚して約10年、色々とありましたが、ある日突然主人とお別れをする事になりました。

昨日まで元気だったのに、普通に会話をしていたのに、気づいた時には息がありませんでした。享年40歳でした。

 

それまで予兆もなければ、変わった点も、何もありませんでした。

そして私は、小学生2人、幼稚園生1人のシングルマザーに。。。

 

あの日から約12年、本当に辛く苦しい日々をずっと送ることになりました。

義家族にも裏切られ、すべてを奪われ、子ども達には本当にかわいそうな思いを沢山させてしまいました。

 

表では笑っていても、楽しんでいる様子をSNSに投稿しても、あの日から1日たりとも、心から平穏に思える日はありませんでしたし、今でもフラッシュバックに苦しみ、全く前向きに生きることは未だに出来ていません。

 

他人から見ると、『いまだに主人の事を忘れられていない。』とか、『悲劇のヒロインをずっと演じてる。』とか、ある意味興味のまなざしを感じることもあります。

 

でも、そうではないのです。

悲しいことですが、やはり12年も逢っていない人、もうだいぶ私の彼に対する記憶は上塗りされています。

 

しかも、亡くなった事より、そのあとの毎日のことが本当に辛く悩ましいものだったので、

『亡くなった事への悲しみの記憶』<『亡くなった後に感じた恐怖や苦しみの記憶』

となっていて、今悩まされているのは、後者の記憶からの支配です。

 

子ども達は何とか元気に、道を外れることなく育ってくれたのは、幸せな限りですが、今度は子ども達が巣立って行ってしまった後の自分の将来も、今は、不安でたまりません。

 

そしていま、義家族との新たな問題が発生し、また少し前から考えていた『死別親家庭の子ども達支援』プロジェクトを始めたいとも考え、ブログを始めました。

 

当日の事

主人が亡くなった当日の事は、よく覚えているような、よく覚えていないような。

 

自宅で主人の異変に気づき、とっさに人工呼吸をしながら、長子に救急車を呼んでもらい、病院に行き、死亡宣告を聞き、警察に行き事情を聞かれ、家に戻り、警察の現場検証があり、、、

 

時間軸と、どこで誰がどうやってみんなに連絡をしたのかなどの詳細は全く覚えていませんが、気づけば父と母も隣県から駆けつけてきてくれていて、一緒に泣いていました。

あまりの突然の出来事に、私はただただ泣く事しかできずに、その日は過ぎ去っていきました。

 

そしてこの後起こる数々の辛い出来事を、その時は知る由もなく、純粋に心から主人の死を悲しみ、涙を流し、何度も感謝の気持ちを冷たくなった主人に伝えたのでした。

 

葬儀の日まで

業者さんは、義母のすすめもあり、その2年前に主人の父が亡くなったときにお世話になった葬儀屋さんに、お願いすることにしました。

 

と言うか、私はほぼパニック状態で、また主人は従業員を抱える自営業者でもあったので、そちらの対応もしなければならず、色々と調べたり決めたりする余裕がなかったのが、正直なところです。

 

しかしこれは今思えば、本当に無駄な事ばかりでした。

場所も家から車で40分くらい離れていましたし、お花、お返しなど、何もわかないまま、そして義母の見栄もあり、結局数百万円の葬儀を盛大に行うこととなりました。

 

子ども達

子ども達3人のうち、上の子2人はある程度状況を理解し、泣きじゃくっていたものの、下の子はまだよく"死"と言うものを理解できていなかったようで、私が泣いているから、悲しんでいると言った感じだったと、何となく記憶しています。

 

当時幸いにも、まだ60代だった私のとっても元気な母が、しばらくの間は泊まってくれることになったので、子ども達の事はほぼお任せし、私は主人の仕事の方の対応をする事になりました。

 

役所での手続き

その時まで、ひとり親がどういうものか、そう言えば考えたことがなかったことに、初めて気づきます。

そして自分自身が突然そうなり、役所に手続きに行ったものの、何をどうすればいいのか全く理解が出来ていません。

子ども手当の一覧等の説明書きの紙を渡されましたが、自分がどれに該当しているのかも分かりません。

 

死亡届を提出した後、子ども関係の部署に行き、言われるがままに、膨大な数の3人分の書類を記入する事に。

 

そしてショックだったのは、そこで、『生活保護を申請しますか?』と言われたこと。

役所の人にしたら、シングルマザー=生活保護なのかな?と。

 

また今でこそ慣れっこになりましたが、そこではこれまで何度となく、必要書類を提出する為に伺うたびに、『養育費はもらっていますか?』と聞かれること。

 

そう、そもそも母子家庭への手当は、戦後に戦争で父親を亡くした家庭の子ども達を想定してつくられたもの。

 

現代では、『選択的シングルマザー』『別姓の為のペーパー離婚』『卒婚』など、少し理解しがたい方たちも存在しており、一方私たちと同じく死別に悲しむ親子が存在していて、その方々と同じくシングルマザー扱いされるのは、こうして時間がたった今でも、不快に感じるのは、単に捨てきれない私のプライドなのか。

 

そんなこんなで、実際に、主人の死を純粋に悲しめたのは、当日のみ。。。

この後、次々と手続きや問題が発生します。

そして、死亡届を提出すると、さらに色々な事実を知ることになるのでした。

f:id:family-s:20210714095728j:plain

〈子ども達が小さいころに作ったお弁当〉