CAMPFIRE ≪Good Morning≫ 挑戦中!2022年、早速嬉しいことがありました。
新しいサポーターさんとの出逢いがありました。
珍しく2日続けてのブログ更新です。
前回のブログでもお伝えしたように、昨年春くらいからおせっかいにも、『死別ひとり親家庭』の支援を何かできないかと考えるようになり、
今まで私が12年間ぼんやりと感じてきた『生き辛さ』や、言いようのない『悔しさ』などを、同じ境遇の人達でコミュニティを作る事で、
少しでも良い方向に導けないかと、そして子ども達が安心して夢を追いかけられる様なお手伝いが出来ないかと、そんな気持ちで始めてしまったプロジェクト。
#同じ境遇の人と繋がりたい がメインのテーマです✨
考えれば考えるほど想いは膨らみ、しか~し、現役3人の子どものママである私にそこまでの余裕はなく、勇気をもってクラウドファンディングへの挑戦となりました。
もともと人前に出たり、目立ったりする事はあまり好きではなく、でもこんなことをやっているとメンタル強そうに思われるかもしれませんが、
本当はひっそりと静かに生活したい性格で、メンタルもやや弱めの私💦
SNSのアカウントが突然凍結された時も、相当長い間深く落ち込みました💦
個人の想いとしては、別に『死別ひとり親家庭』の事を、無理に誰かに理解してもらいたいわけではなく、
予期せぬ家族とのお別れを経て生きている人がいる現実、そうやって独りで子育てに奮闘する親も沢山いると言う現実を、
知ってもらいだけです。
未知の感染症が流行りだして早2年、厚労省発表の死亡超過率も増えたとか何とかで、日本の人口はものすごいスピードで減少しています。
なんと東京都の人口すら減っているそうですね💦
今後の社会が豊かになるには、やっぱり子ども。
子ども達は、本当に大切に育てなければいけません。
子ども達って、アラフィフの私が苦労して取り組んだプログラムも、あっという間に理解して覚えます💦
体力もあるし、記憶力だっていいし、そんな可能性のある子ども達に、色々な事にチャレンジして、学習の楽しさを知り、夢を持って立派な大人になって欲しいだけなのです。
でも現実はやっぱり厳しいです。
何かを学ぶには原資も必要、周囲からのアドバイスや協力も必要、離別とは違って離れたところに片親が居るわけでもなく、育児は完全なるワンオペです。
また、死別のショックなどから、親も子も不安定になったりすることもある中で、精神面や経済面に余裕が無いことも珍しくはなく、
やっぱり両親が2人揃って養育している家庭とは、その時点で大きな差があります。
偉そうに語っているように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身の子育てに関しては子ども達に心から謝りたい、そんな母親でもあります。
もっとしてあげられる事、気にかけてあげるべき事が、いっぱいあったかと思います。
子ども達も、本当はやりたかった事が他に沢山あったかと思います。
12年以上にわたる私の子育ては基本、ずっとずっと反省点ばかりです。
唯一幸いにも、ダメ親の元で育ったにも関わらず、我が家の子ども達は進学の道を選び、奨学金などのお世話にもなりながら、何とか今のところ勉学に励んでいてくれております。
それは本当に感謝に値する事です。
子ども達には心から謝りたい私ですが、言い訳をすれば、日々の生活に心の余裕が足りなかったから💦
一生懸命子育てをしても、だれも褒めてくれないし、子ども達が巣立って行ってしまえば、独りぼっちの老後が待っています💦
そのころにはしわしわになっていて、疲れ果てていて、SNSで見かけるお友達のようなキラキラした生活とは、無縁の生活を送っているかもしれません。
それもこれも、大切なパートナーとの予期せぬ別れが原因で起こった事であれば、そこにはむなしい気持ちしか残りません。
金銭面はもちろんの事ですが、今の世の中にはそんな『死別ひとり親家庭』の精神面を支えてくれる場所は残念ながら見当たらず、
今後の残りの人生を掛けて、そんな場所を作っていかれたらと思っています。
そしてひっそりと公開した、CAMPFIREのプロジェクト、年末におひとり参加してくださった方が現れ、ちょっと嬉しくなって昨日SNSで拡散をお願いしたところ、
なんと早速新しいサポーターさんが現れてくださいました✨
母、またもや感涙・・・涙腺が弱くなっています。
サポーター様とは1か月に1度のミーティングを開催し、ご意見やアドバイスなども頂戴できたらと思っていますが、
幅広く皆様からのご意見なども頂戴できますと、励みになりますので、お気軽にメッセージやコメントをお願いできますと幸いです。
引き続き繰り返しのお願いになりますが、プロジェクトの拡散にご協力頂けますよう、また温かい気持ちで見守ってくださいますと嬉しいです。
↓
今後ともどうぞよろしくお願い致します<m(__)m>
CAMPFIRE ≪Good Morning≫ デビューしました!【”死別ひとり親家庭”の子ども達の未来を全力支援!将来の夢を応援するプロジェクト】
謹賀新年🐯
2022年が明け、早くも6日経過しました。
本日東京は、雪がうっすらと積もり始めています。
気付けば今年は主人が他界してから、早くも13回目のお正月となりました。
子ども達3人、そして実家の両親もとても元気である事、また家族で一緒に年を越せたことには、心から感謝をしておりますが、
心から『おめでとう』と思えるような気持ちには未だなれず、
今年も何となくむなしい気持ちを抱えながら、静かに世間の祝福ムードを傍観しているような、そんな年明けとなりました。
今年の抱負🐯
2022年
死別ひとり親歴も12年以上、慣れてきたのか、もう諦めの気持ちが出てきたのか、歳を取ったからなのか分かりませんが、私の中で、
正直、『主人の死』と言うとても悲しい出来事は、日々の生活の記憶に少しずつ埋もれてきています。
よく『時間の経過とともに…』なんてことも言われますが、決してそういうものではなく、今の生活の中での苦しみ?辛さ?の蓄積が、そうなってしまったように感じています。
SNSで、同年代のママさんたちを眺めていると、ご主人に守られ、旅行に行ったり、お食事を楽しんだり、素敵なお家で暮らしていたり、
またシングルのお友達は、趣味などに自分のお金や時間を惜しみなく使っていたり、
『なんで私は独りで子ども3人も育てているんだろう?』
と後ろ向きとまでは言えないけれど、決して前向きではない気持ちに引きずられ、ここ最近は、ただただ子ども達の事を考えながら、毎日を無感情で送っている感じでいます。
それでも、まだ小さい子供がいるご家庭で、両親のどちらかが亡くなったニュースなどを見かけると、やはり当時の感情が心の中に蘇り、とても苦しく辛い気持ちになってしまいます。
あの時感じた『悲しみ』『恐怖』『絶望感』、
そしてその後の生活の中での『苦しみ』『生き辛さ』など、
今現在どこかで誰かが、その状況にあるとするのであれば、なにかそれを改善するような事ができるのではないかと、そして少しでもその気持ちから解放させてあげられるのではないかと、
おせっかいにもそんなことを、昨年春くらいから次第に思い始めるようになりました。
そして昨年春、意を決して開設したSNSアカウント、死別シングルファミリーの方たちと繋がりたいと思い、勇気をもってはじめて見たのですが・・・
『チーン』数日であっという間に何故かアカウント凍結💦
すっかりテンションも下がり、改めて『ひとり親の生き辛さ』に様なものを感じ、暫く立ち直れない時間を改めて送っていたのですが、
同じ境遇の方たちの、悲しい投稿を日々目にする中で、前向きになれなくても、同じ気持ちを一緒に共有できたらと思い・・・
なんと、母はアラフィフにて、プログラムを学び始めました(笑)
『そこから?』と思う方も多いかもしれませんが💦、やっぱり自分の目指す事をするのには、プロとまではいかなくても、
大まかにプログラムが分かっていないと話にならないと思い、自力でPCと向き合い、何とか『口コミ』『コミュニティサイト』の完成に至りました。
今回は練習目的も兼ねているので、会員制ではなく、テーマも『焼酎』と全く違う分野ものを作成いたしましたが、
≪サイトはコチラ https://kagottan.com/≫
これを基に、『死別ひとり親家庭コミュニティ』を作成し、自分自身が出来る範囲で支援をしていきたいと考えております。
CAMPFIRE ≪Good Morning≫ デビューしました!
そんな中で何となく始めた支援案ですが、考えれば考えるほどアイデアは膨らみます。
初めは金銭的な支援はなかなか難しいかと思いますが、他にも出来る事は沢山あります!
そして今後の団体設立(寄付をオフィシャルに受け付けるため)を視野に入れ、
CAMPFIREにてサポーターさんの募集をさせて頂くことに致しました。
これは継続的に支援を頂戴することで、サイトの制作に関する諸費用や、今後は直接子ども達、親たちの支援に繋がるサービス運営の為に、大切に使わせて頂くものになります。
そして、サービスを公開して数日、あまりアピール上手ではない私がもごもごと年末を過ごしていると1件のメールが✨
≫【GoodMorning】メンバーが現れました!: ”死別ひとり親家庭”の子ども達の未来を全力支援!将来の夢を応援するプロジェクト
なんと、宣伝していないにも関わらず、参加してくださる方が現れました✨
もう感涙です💦
死別ひとり親という状況はなかなかマイナーなので、どうなるか心配でしたが、ご丁寧にメッセージも下さり、心から感謝いたしております。
この場をお借りし、改めてお礼申し上げます。
そしてTwitterでも投稿をさせて頂きましたが、このリンクの拡散をお願いできたらと存じます<m(__)m>
子ども達の明るい未来の為、安心して子育てが出来るような社会づくり、また子どもを育て上げた後のパパママの人生の為、支援の輪を広げていきたいと思います。
改めてリンクを添付いたします。ご支援・拡散をお願いいたします。
↓
”死別ひとり親家庭”の子ども達の未来を全力支援!将来の夢を応援するプロジェクト GoodMorning by CAMPFIRE
また今後の進捗状況など、主にTwitterにてお伝えしていかれたらと存じておりますので、フォローくださいますと幸いです。
一見前向きなシングルマザーかもしれませんが、何かと落ち込むことや不安定になる事もありますので、優しく見守って下さると嬉しいす。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
死別ひとり親家庭に本当に必要な支援とは
死別ひとり親家庭への支援とは
また暑い夏がやってきました。
主人の命日も近づいてきて、あの年の出来事を嫌でも思い出す季節となりました。
もう12年も経つのに、子ども達はまだみんな学生です💦
母、本当に疲れています。
私の中の主人との思い出は、日々の生活の様々な想いに、上書きされ続け、こうして時間とともに悲しくも少しずつ薄れかけています。
それでも何故か、当時感じた悲しみや恐怖などは心の奥深くに根付いていて、時折恐怖で夜中に目が覚めることもあります。
それを『病気』と位置付けてしまったらそれまでなのですが、私が学んだアンチエイジング(予防医療)の考えから、個人的にはやっぱり安易に薬に頼りたくはありません。
どちらが生きづらいのか、どちらを選ぶのかは人それぞれですが、
『あの日を境に一転して下降した私の人生、どこかで逆方向にまた変わらないかな?』
なんてとてつもなくくだらないことを考えながら今日も過ごしています。
サービスとして出品しました。
私がこれまでひとり親をしてきた中で、たぶん必要なのは、その時に必要な情報でした。
決して、自称カウンセラーの様な人の話や、士業の方の手続き指南とかマニュアル的なものではなく、
同じ心の痛みを知っている人に、その時どうしたか、そしてどうなったか、どう乗り越えたか、本当の話が聞きたかった。
子育ての事、自分の心の事、お仕事の事、お金の事、将来のこと、
考えれば考えるほど、不安はずっと絶えないのです。
すごく不安定な毎日の中、我が家は気づけば12年も経ってしまい、未だ相変わらずの毎日ですが、
今ひとり親になってしまったばかりで戸惑いの渦中にいる家族がいたら、そしてもし私の経験が少しでもお役に立てたらと、サービスとしてココナラに登録致しました。
本来はこれは同じ境遇の人達同士の、コミュニティーサービスとして無料で展開していかれたらと思っているのですが、
やはりマイノリティーな境遇はなかなか一般の人達に理解を求めるのは時間がかかりそうで、取り急ぎこのような形となっておりますことを、ご理解いただけたらと存じます。
[http://大切な家族と死別した方のお悩み聞かせて頂きます グリーフケア、ひとり親家庭の子育ての悩みなどご相談下さい。 :embed:cite]
”死別ひとり親家庭”支援プロジェクト構想
”死別ひとり親家庭”支援プロジェクト構想 子供たちに夢と希望を!
自分自身に過去に起こった出来事、経験をもとに、親と死別してしまった子供たち、またその家族を支援するプロジェクトを立ち上げるための活動を始めました。
微力ながら頑張っております。
協力者・支援者も募集しています。
プロジェクトの発端
自分自身が遭遇した、12年前の主人との死別、
そしてその後の、小学生と、幼稚園生、あわせて3人の子供たちとの生活。
あまりの突然の出来事に、私は当時何をどこから始めたらよいのか全く分からず、
日々襲う大きな不安や悲しみ、それでも子供たちを守っていかなければならないという責務にも苛まれ、とにかく辛く悲しい毎日を送っていました。
そして当時私が困惑したのは、
- 親を失ってしまった家庭の子供たちの為に、今何をすべきかが分かる情報ソースが全くないこと。
- 子供たちへの支援の場や、情報交換の場が見つからないこと。心のケアのよりどころがないこと。
- 銀行やその他相続、役所への手続き、子ども手当など、手続きや書類が多すぎて分かりにくいこと。
- 適切な時期に、国や自治体に申請できる支援金、給付金、奨学金などが分かる情報が容易に見つからない、また該当しているのかどうかも分からないこと。
- 子育ての事、お金の事、仕事の事、周囲との関わり、将来の事など、当事者の気持ちに寄り添った相談をできる場がないこと。
など。
一時は子ども達も私も、次第に心を病んでいき、よからぬことを考えてしまう事もありました。
当然、立ち直る事なんて容易には出来ませんし、もちろん悲しみが消える日が来ることはなく、日々悶々とした時間と闘いながら、子育てをする毎日は続きました。
それでもなんとかこうして約12年もの時間が流れ、
今ようやく少し振り返れるようにもなり、
今後もし同じような境遇になってしまった家族が目の前にいたとしたら、何かしてあげられるのではないかとも強く思うようになりました。
不可抗力で起こった事態に、みんなそれぞれ悩み苦しみ、将来の夢をを諦めてしまう子供たちもいるのではないか。
親自身もパートナーを失い、相談できる相手もなく、どうにもならないことも多いのではないか。
本当に大切だと思う情報を、必要な人に、その時に届けたい!
通常の離別家庭とは違い、死別家庭は、財産を多く残されたと思われることも多い様ですが、決してそうではない家庭も多く、しかしその実情は未だ調査が十分になされていため、全く分かっていません。
ひとり親家庭の貧困率が高くなっていると言うことも耳にしますが、片親がどこかに存在しているご家庭と、死別シングル家庭は、そもそも違うのではないかと、ずっと疑問に思ってきました。
子供たちの才能の芽を、大きく伸ばしたい。
子供たちはこれからの世界を担う、人類にとっても大切な”宝”です。
チャンスを絶対に逃してほしくない。
いまコロナ禍で、残念ながら自身で人生を終わらせてしまう人も急増しています。その中には家族がある人もいるでしょう。
また病気や事故などで、子供を残して世を離れなければいけなくなる人が、今後いなくなることも決してありません。
僭越ながら自身の体験をもとに、我が子供たちの想いも無駄にしないために、ずっと思ってきたことを形にしたいと思い、このプロジェクトを構想しています。
”死別”で悲しむ家族の心のケアを、”情報提供”と言う形で安心を届け、
子供たちが少しでも明るい未来に向けて生きていかれるよう、
また独りで頑張って子育てをしているお母さんお父さんたちの手助けにもなれるよう、
活動をしていきたいと思います。
活動内容〈予定〉
”死別ひとり親家庭”に特化した、情報サイトの開設
主なコンテンツ:
- 死別シングル親同士・子供同士のコミュニティー、情報交換の場。
(同じ悩みや苦しみを持つ人たち同士の悩み相談、体験談などを投稿、閲覧、アドバイスが出来る、会員制のコミュニティーサービス。)
- 死別後の手続きなどのサポートの場。
(役所、学校などの手続き、また継続的に申請が必要なものなどの解説など)
- お金にまつわるサポートの場。
(今後の生活面での不安を軽減するため、プロの専門FPによる、ライフプランニング、残されたお金の適切な使い方、預入方法など、死別シングル家庭の目線での無料アドバイスを提供する。)
- 雇用サポートの場。
(死別によりシングルになった家庭の親、または子供を、状況を理解の上、雇用してくれる企業とのマッチングなど。)
(専業主婦だったり、しばらく職場から離れていたり、状況から断られてしまうケース、子供たちもいつもどこかに引け目を感じながら生活していることも多いので。)
- 学業支援、オンライン学習口座開設や、進学相談の場。
- 主にメンタル面での、医療相談・カウンセリングの場。
- 法要などに関しての、相談窓口の場。
- 継続的に支援してくれる企業、団体、個人の募集。
(奨学金の返済補助や、支援品の提供などを視野に入れる。)
- 登録者にアンケート調査などを定期的に行うことで、現代の死別ひとり親家庭の実情を調査。
(調査研究の結果を元に、今後の活動を活性化、社会に役立てていく。企業からの依頼も有償で受け付ける。)
今後のビジョン
今回の活動を通して、親やパートナーと死別し、心に大きな傷を負った家族が、夢と希望をもって前向きに生きていかれるようになれる事を目的としています。
日々の生活に追われる中で、十分な情報や、アドバイスが必要であるにも関わらず、それがきちんと得られないこと、それ自体が子供たちにとって大きな機会損失にもなっています。
望まなくとも失ってしまった家族の代わりになるべく、その心に寄り添い、不安や悩み事を少しでも取り除く手助けをしたい。
死別ひとり親家庭に、希望と夢を与え、子供たちの成長をみんなで見守りたい、そんな人に優しい社会づくりを目指しています。
。
主人と死別して、ひとり親になって。~3か月
Episode5
私がとってもダメな人間なのか、パートナーとの死別は、こういうものなのか。。。
少し時間は経ちましたが、相変わらず涙の毎日です。
12年前は、SNSもまだそこまで盛んではなく、なんといってもガラケー時代でした。
情報へのアクセス状況は今とは違い、気になる事があれば、家でPCを開くところから始まる時代です。
いい意味でも、悪い意味でも、情報の伝達スピードが格段に遅い時代でした。
当然、同じような気持ちを持つ人たちとのつながりも皆無でしたし、、お互いの情報をシェアする事すら出来ませんでした。
が、一方余計な情報も全く耳に入って来ないので、知らなくて良かった事もいっぱいあったかとも思います。
街を見渡しても、テレビを観ていても、周りの家庭が幸せそうに見えるばかりで、ひとり殻に閉じこもる日々は続きます。
自分の事
当時は、『子ども達のママ』として生きることが生活のメインでしたので、私のお友達はいわゆる『ママ友』だけ。
学生やOL時代の友達とは、年に1回年賀状をやり取りするくらいな感じになってしまっ
ていたのと、ママ友とは言っても単に子ども付き合いの延長線上。
そこまでのお付き合いはないので、実際ほぼお友達はゼロとも言えました。
それでも子ども達の学校や、主人の仕事の件で、人に逢うことも少なくなく、みんなに気を使われる事すら、辛く感じる毎日。
今思い返すと、
人前ではやたら元気を装ったり、しっかりした母親を演じようとしたり、ハイテンションで行動したり、
そして夜になると、変な夢を見て号泣したり、怯えたり、夜中に目が覚めて、主人が霊
になって見えるのではないかと、部屋中を探したり。
もしかして、病院に行っていたら、病名が付けられていたかもしれない、そんな精神状態でしたが、当時はそんな自分にも気づけず、淡々と耐える日々は続きます。
義家族との関係
義家族は、私にしてみたら、だいぶ変わっている人たちです。
たぶんまともなのは、主人と、主人の父親。
そしてこの2人が、残念なことに他界しています。
残されたのは、義母、義弟、義妹。
いや、向こうもそう思っていたのかもしれませんが、この後、私も子ども達も、ずっと苦しむことになりました。
主人が残した個人事業、そもそも実家で義父が他界する前にやっていたものと、関係していました。
その為、どうしてもこの人たちと、その後も関わらなければならなくなったのですが、主人が亡くなった直後にも、とんでもないことは多々ありました。
義母
以前にも書きましたが、義母はいわゆる”意地が悪い人”です、嫁である私に対してと言うより、みんなに対して。
たぶんお育ちも関係しているのではないかと思いますが、
主人も私も、これまでご機嫌を取るように、適当な距離感を持ってその関係をなんとか維持してきました。
主人は長男だったこともあり、私は結婚当初から、男の子を持つことを強く望まれ、
第2子が、長女に続き女の子だと分かった時には、
『あら、また女の子なのね。』
と嫌味っぽく言われたのと、長女は1人目と言うことで、初孫として彼女の誕生をとても喜んでくれていましたが、次女の時は、ほぼスルーだったのは本当に悲しいことでした。
次女の出産後、身体がまだ本調子ではないのに、
『長女を幼稚園受験させなければならない。』
『遊ぶお友達は、きちんとした家庭の子どもでなければいけない。』
『子どもの為に習い事をさせなければいけない』
と、自分のルールを強要してきたり、
わざわざ私を呼びつけて、庭の掃除をさせたり、買い物に行かせるなど、
明らかな無理難題を押し付けてきたりすることも多く、
当時は何とかスルー出来ないかと、そんなことを考えるばかりの日々でした。
そして次女を産んだ翌年、偶然にも第3子を授かり、その子が男の子だっと分かったことで、私の株は急上昇しますが、人生は本当に上手くいきません。
その約6年後に主人が急逝し、その後、いがみ合うこととなるのです。
主人の個人事業
これが、私たちが今でも悩まされる、主な原因となっていることは、間違いありません。
主人の意志をもって、また子ども達を育てるために、何とか頑張ろうとしましたが、結果、義弟に騙され全てを失いました。
それはS大学病院に勤務する、ドクターなのですが。
そこに義母と義妹の策略があったのは、もちろん明らかです。
『馬鹿な母親だね。』と思われたら、それは間違いないとは思います。
しかし今現在、義家族は私たちがどこに住んでいて、何をしていて、子ども達がどこの学校で何を勉強しているのかも知りません。
義弟妹は別に良いのですが、義母もです。
子ども達のおばあちゃんである人ですし、自分の息子の子ども達です。
自分の息子が死んだら、残された財産をすべて奪い、子ども達とも縁を切る。
そんなことが、普通に出来る人なのです。
これに関しては、私の実の親にも、相当の苦労を掛けてしまいました。
私がきちんとできた母親でないから、今もこうして苦しんでいるのか、やっぱり頭のおかしい人達であったから、そうだと思って諦めるのか、
どちらにしても、主人がこんな母親に、愛情不足で育てられたことも、
彼の人生を早くに終わらせてしまった要因の一つではないかと、私は今でも信じて疑いません。
そしてそんな状況が続く事、早12年。
主人が他界した事は、本当に悲しい出来事であって、それは今でも変わらないのですが、
その後の生活が余りにも悲しいことばかりなので、本当に主人は私たちをお空から見守ってくれているのか、もしくは、彼も義実家の味方なのではないかとも思ってみたり。
そんな死別ひとり親家庭としての生活は、今のところまだ先が見えずに、不安とともに生活しています。
主人と死別して、ひとり親になって。2か月~
Episode4
全く望まない形で、私は3人の子どもを持つひとり親家庭の母となり、世の中も一瞬にして一変してしまった我が家。
亡くなった直後とはまた違った悲しみにも気づき始め、相変わらず涙が止まる事はありません。
今後本当の意味で、私たちを守ってくれる人はもう世の中にはいないのです。
それなのに、私はこの先もずっと子ども達を、ひとりで守っていかなければならなくなってしまい、もうその重みに耐えられなくなってしまいそうでした。
『子ども達がみんな小学校に入ったら』、『成人したら』、『無事に巣立っていったら』・・・
何となく考えていた将来への希望も、夢も、全て崩れ去っていきます。
主人の死は、これと言った大きな理由はなく、私のこの気持ちをぶつける場所はどこにもありません。
何故?と毎日自問するしかありませんでした。
泣いても泣いても、ずっと気持ちは堂々巡りのままです。
そしてどんどん心が疲弊していきます。
夫が夢に出てきて、そこで私が『生きててよかったね。』と話しかけるシーンや、私が死んでいたと言うシーンも何回も見ました。
実際に、
『私が代わりに死んでいたら、子ども達は金銭面でも苦労しなくていいのかな?』
『新しい若いお母さんが来てくれて、幸せになれるかな?』
とか、そんな暗示のような思いを持ってしまった事も何度もありました。
不思議な出来事
もともと私自身、特に霊感みたいなものは何もなく、それまで何か不思議な体験をしたことは、一度もなかったのですが、
主人が亡くなった直後に、1度だけ、普通ではありえない経験をしました。
彼の遺体は、運び込まれた救急病院から、”突然死”と言うことで警察に運ばれ、事件性が無いことが警察と医師によって確認され、自宅に戻ってきました。
私も警察署で、一連の事情を聞かれた気がします。
(主人が自宅に戻ってきてからか、その前だったか定かではありませんが、警察が主人の部屋の写真を何枚か撮影したり、状況を確認したと記憶しています。)
そしてその当日だったか、次の日だったかも覚えていないのですが、彼が自宅に戻ってきて、リビングに寝かされ、夜になり…
その場には、私の母、次女、私の3人。
リビングには、上の階に繋がる階段があったのですが、私がちょうど入浴しようと思っていたちょうどその時、
『ギーギーギー』と、まるで誰かが階段を上がっていく様な、木がきしむような音が5回くらい聞こえたのです。
その場にいた3人とも確かに聞いていて、一斉にそちらを振り向いたのですが、姿の様なものはなく。。。
明らかにその音は、階段を昇っていく際の足音の様なものであったのと、階段も確かに木製ではあったのですが、
実はその階段、通常は、昇り降りで音がする事はないのです。
例えて言うと、とても古い木造の家の階段を昇るときに、発生するのではないかと言った感じの音で、
特に怖いと感じるような音ではなかったのですが、その時が最初で最後、まるで主人がどこかに去っていったかのような、そんな不思議な出来事でした。
家庭の事
母が家に寝泊まりしてくれていた事、これには本当に救われましたし、心から感謝しました。
こんな状況下で、何とか倒れずにいられたこと、子ども達が通常通り学校に行かれたことは、全て私の両親のおかげです。
子ども達への想い
もちろん何の覚悟もなく、訳も分からないままひとり親になったわけです。
ひとり親がどんなものなのか、どんな制度が受けられるのか、私にはすぐには理解する余裕すらありませんでした。
役所では子ども担当の部署があり、そこで手続きをするので、漏れなどはないはずなのですが、そこは一般的な事務手続きをしてくれるだけの場所です。
実際はお金の事、子育ての事、仕事の事、いっぱい不安はあるのに、当然そこには、相談相手も、アドバイスをしてくれる人もいません。
もしかしたら、奨学金とか、支援団体とか、あるかも?など、色々考えましたが、誰も教えてくれません。
確かに死別ひとり親家庭を経験した人なんて、この世の中ではマイノリティで、そこまで手厚くアドバイスをしてもらいたいなんて思う方が、厚かましいのかもしれませんし、
またもし、実際に経験してない人に、何かのアドバイスをされたとしても、捻くれた私は、どこか心の中で反発心を持ってしまうかもしれません。
とにかく、
『もう誰も助けてくれる人はいないんだ。』と、
心の中で繰り返し思いながら、結局はひとりで情報を収集するしか手段はありませんでした。
そして、PCに向かい、調べてみます。
何か子ども達のために、有益な情報とかはないかと。
『死別ひとり親』『死別シングルマザー』『死別 奨学金』『死別 子ども』…
でも当時、私が実際にそういう状況になり、本当に必要だと思った情報はほぼ何も見つかりませんでした。
改めて思ってのは、『ひとり親って生きづらい世界なんだな。』と。
ただでさえずっと不安な気持ちでいるのに、自分がやっていることがあっているのか、今後何をどうしたら良いのかも分からず、この頃は既に迷子状態でした。
そして、実は約12年過ぎた今でも、この気持ちは私の中でずっと続いています。
子ども達もある程度成長してきて、少しは状況も変わりましたが、
やっぱり両親が揃っているお家と同じようにはいかなかった事ばかりで、
ひとり親になってしまったことで、子ども達にしてあげられたことは、確実に半減したに違いありません。
そしてまた改めて、行き場のない想いが、今日も心の中を巡ります。
主人と死別して、ひとり親になって。~2か月
Episode3
主人が亡くなり、ひとり親になってしまっても、当然ですが今までと同じく時間は流れていきます。
この辺りから、だいぶ違った角度で世の中が見えてきます。
悲しいのに、辛いのに、ずっとふさぎ込んでいる訳にもいかず、そして子ども達もいるので、倒れて寝込んでいる訳にもいかず、気持ちの整理なんて当然できず。。。
何でこんなことになってしまったんだろうと、行き場のない想いが、日々心の中でぐるぐると渦巻きます。
亡くなった直後は、葬儀や、各種手続きなど、怒涛のようにやるべきことが目の前に現れ、ただひとつずつ淡々と処理をする日々でしたが、1か月も過ぎてきたころから、別の意味で驚く事、泣く事が次々と出てきます。
本人の事
結婚まで約6年、それから約10年、それまでそこそこ長く主人とは時間を共にしてきました。
思い出も、もちろん沢山あります。
出逢った日の事、お付き合いをしていたころの事、ケンカした事、結婚した事、子どもが産まれた日の事…私は主人の事を、たぶん一番よく理解して分かっている人間だと思っていました。
しかしそれは、この頃から奇しくも崩れ始めます。
彼は本当に突然逝ってしまいました、本人も全くそんな気もなかったはずです。
ですから当然すべてを私と子どもに残したわけですが、そこには見たくなかったもの、知りたくなかったものも沢山含まれていました。
また彼は個人事業を営んでいたため、そちらの方でも、次々と問題が発生していきました。
こんな問題が発生するのは、我が家だけの場合かもしれませんが、最近思うのは、死因はケースバイケースで、それぞれの死別ひとり親家庭で、また違った苦労があるだろうということ。
死因が仮に、病気だったとしても、長く入院したのかとか、突然だったのかとか、事故でもそうですし、また、最近すっかり感染症で毎日が脅かされる世の中になってしまってからは、悲しくも自死のニュースもよく耳にします。
実際Twitter上など、SNS上でも、その苦しみを訴える家族の苦しい気持ちを、日々目にします。
私もまだまた苦しいけれど、他にも同じ状況でありながら、また違った問題を抱えている家族がいるかもしれない…そう思うと、私も胸が苦しくなります。
そしてそこには、小さな隠し事から、ちょっとした悪気のないウソ、知りたくなかった事実、そして私にとっては大きな裏切りと思えるものまで、、、私は本当の彼の全てを目にすることになるのです。
お金の事
我が家の場合は、特に稀なケースだっと思います。
彼の仕事が個人事業主で、従業員も数名いた為、通帳など基本的にはすべて個人名義となっていました。
その為、それまで実際の生活での使用口座や、会計は仕事とは全て別だったものの、ここでお金がぐちゃぐちゃに混ざってしまう事態となりました。
事業の借り入れも残っており、個人で返済するか、相続放棄をするか、大きな選択をしなければならないかも、と言った状況にも陥りました。
お返しするもの(事業資金など)、支払いが残っているもの(カード・ローン・給与・税金など)、請求をしなければいけないもの、これからの生活費、学費、
もう何が何だか分からない状態になってしまい、またそのタイミングも、支払いは先、入金は後のような構図となるので、今まで子ども達を思って貯めてきたものも、一度全てリセットする事になってしまいました。
そして、何とか全てを片付け終わったころ、この事業は義家族に奪われてしまったのです。
人間関係
主人の仕事でも、プライベートでも、大きな変化がありました。
プライベートでは、ひとり親になったことで、多くの人が去っていったように感じました。
『腫れ物に触る』とでも、言うのでしょうか?
それまでやたら近づいてきていた人たちからは、全く声をかけられなくなりましたし、声をかけてくれた人にも2パターンあり、
本当に心に寄り添おうと思ってくれた人と、興味本位で覗きにきた感じの人がいたように感じました。
幸か不幸か、当時まだガラケー時代で、SNSもそれほどではなかった事、今は嫌な事などをスマホから知ってしまう事もあるかとは思いますが、そういう状況はなかったので、単に孤独になるだけで、逆に変に精神を犯されると言った事はありませんでした。
一方残された仕事の方は、私一人では当然手が回らず、一旦子ども達が大きくなるまでの約束と言うことで、義家族の手を借りることになったのですが、
やはり辞めてしまったスタッフもいて、私はほぼ無休で、半年以上昼夜を問わず働くことになりました。
そして中には、借用書の存在がないにも関わらず、主人にお金を貸したと、脅迫してくる人まで現れました。
ただでさえ弱っている人に、執拗に返済を迫り、半ば強引にお金を奪っていく人まで現れました。
その人は、某有名私立小学校から大学まで通い、お空を飛ぶ仕事をしていたという、また地主の娘だと言う、主人とは同級生の女性であったから驚きですが。
また良くある事ではありますが、主人と交際していると言う女性まで現れました。
これに関しては、その後裁判にまで発展しましたので、また別記します。
主人の育った家庭
いったいどんな家庭で主人は育ったのでしょう。
一般的には上流の方の教育を受け、人に羨ましく思われる様な家庭であったと思いますが、本当は凄まじく"人間愛"の欠乏した、見栄ばかりなさみしい家庭だったのだと、今は確信しています。
そんな主人は大人になって、家族を設けたのに十分な愛情を注げず、その分仕事は頑張ったのかもしれませんが、どこか自分には甘く、本当に自分勝手な人でもありました。
一緒に生活をしていた頃は、子ども達も小さく、私もそこまで深く考える余裕がありませんでしたが、
こうして勝手に独りで逝ってしまい、家庭も、子ども達の事も、仕事も、全て私一人に押し付け、こんなに時間が過ぎた今でも辛い思いをしている私たちを、今どう見ているのか、
もし魂がどこかに残っているのであれば、本当に一度聴いてみたいかぎりです。
『よく子どもが3人いてよかったね。』と言う人がいますが、正直なところ、だから苦労しているのか、そうでないのか、未だ分からない毎日を私自身も送っています。
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