family’s diary

主人が約12年前に他界、在学中の子ども達3人の現役シングルママです。子どもの事、家族の事を主に綴ります。

主人と死別して、ひとり親になって。~1か月

Episode2

 

さて、主人との突然のお別れから約2週間、毎日毎日、相当泣きました。睡眠もほぼとれず、フラフラでした。

 

それでも感謝したのは、私のとっても元気な母がずっと子ども達の面倒と、家の事を手伝ってくれたこと。

 

主人の仕事に関係する事、葬儀や、役所での手続き、子ども達の学校の事、私はとりあえず目の前にあるものを処理するのが精いっぱいでしたが、倒れている訳にもいかず、当時はただただ淡々と対応するしかない毎日でした。

 

子ども達の小学校・幼稚園

誰がどうやって、いつ連絡をしたかはすっかり記憶にありませんが、葬儀は遠方であったにもかかわらず、多くの関係者の皆様が、いらして下さいました。

その節は本当にありがとうございました。

 

当時、求められて学校へ何かの書類を提出したかどうかは、すっかり記憶にありませんが、葬儀が終われば、子ども達は特に何もすることがありません。

 

通常通りの登校に、すぐ戻っていきました。

学校でお友達から、なんて声をかけられたのかは、それぞれいまだ聞いていませんが、優しくしてくれた子もいれば、もしかしたら不憫な事があったかもしれません。

 

銀行

当然、すべての口座が、相続が完了するまでストップします。

主人は個人事業主だったので、口座がいくつかあり、私も少しは仕事の一部を手伝っていたのですが、すべては把握しておらずこれには相当苦労しました。

 

それと、古い通帳もいくつか見つかったのですが、すでに銀行自体の名称が変わっていたり、統合されていたりと、そんなこともありましたし、ほぼお金は入っていない通帳だったとしても、対応しないわけにはいきません。

 

それらの通帳と、公的書類を持って、とりあえず各銀行をひとつづつ回る事になりました。

 

カード

この頃から(もう少し後だったかもしれません)、各カード会社から支払いの連絡が次々と入ります。

 

仕事で使っていたカードなども含め、主人は何枚かを所持していたのですが、本人が他界したことにより、基本全て強制退会となります。

 

各会社によって対応はやや異なりましたが、まとめて請求書を送って欲しいと依頼し、快く対応してくれたところもありましたし、拒否されたところもありました。

 

会社の方は、とりあえずしばらくはカードなしでも良いのですが、少し困ったのは私が使っていた家族会員のカードでした。

 

結局、1社の担当の方とお話をし、当時表向きには無職であった私に、本人名義のカードを発行して頂けることになりました。

 

会社

今思うと、これが一番大変でした。

そして、これが悲劇を生むきっかけとなっていきます。

 

従業員がいたこと、借り入れが残っていた事、今後の生活があったことで、相当の時間、労力と個人の金銭を使うこととなりましたが、これにより義家族に騙されることになりました。

 

そして今、義母らは私たち家族がどこに住んでいるのかすら、把握していません。

 

義家族

私の主人への想いが、悲しくもこうして薄れてしまった理由の一つに、義家族の存在があります。

 

義父は主人が亡くなる約2年前に他界、当時残されていたのは、義母と義弟、義妹でした。

弟妹は、それぞれ結婚しており、1人ずつ子どもがいました。

 

義母

義母とは、それまで、まぁいわゆる普通の関係でした。

もともとすごく癖のある人で、見栄っ張り、派手好き、何かにつけて人を説教するようなタイプの、いわゆる意地悪な人でした。

 

一方義父は口数が少なく、とても優しかった記憶がありますので、私から見たら正反対の人です。

 

今思えば、主人もこのような母親に育てられたことにより、少し性格や考え方が、歪んでしまっていたように思います。

 

私は彼女の説教話に、結婚してから何度となく悩まされており、一時は精神的に病みそうな時もありました。

しかも内容は、主人(自分にとっては息子)が、自分が思うように行動しないとか、仕事のこととか、それをまるで私が悪いかの如く、長いときは1時間以上まくしたてるのです。

 

いま冷静に考えると、モラハラっていうのですね?

当時はまだガラケー時代だったのと、3人の子育て追われ、情報を入手する手段がなかったので、全く知らずに耐えるだけの日々でした。

 

それは主人も知るところでありましたが、彼も私の知らないところで、たぶん同じ思いをしてきたのだと思います。

 

庇えば庇うほど、また私に矛先が向くのを知ってるからか、もう慣れっこになっていたのか、主人もまた私の愚痴を聞いて聞かないふりをし、

そして私もその場に出遭わない方法を学んでいったのか、常に義母のご機嫌をとる毎日となっていました。

 

普通だったら合わなければいいのだと思いますが、もともと主人の実家でしていた事業と、主人の事業の一部が関係していたので、切っても切り離せず、そこは非常に厄介な点でありました。

 

私自身も、自分で決めて嫁いだわけですし、子どももいましたので、取りあえず耐えるしかないと腹をくくり、なんとか日々の生活を過ごしていました。

 その甲斐あってか、結婚して10年過ぎ、やっと家族の一員と認められるようになったころ、主人が急逝し、その関係は一気に逆戻り。

 

そしてさらには、攻撃を受けることとなりました。

 

義弟

義弟はいわゆる、ドクターと呼ばれる人です。

一般的には賢い人なのですが、打算的で、キレやすい。その前に"ズル"がつくタイプです。

実家のテーブルをひっくり返したり、壁に穴をあけたり、婚約破棄をしたり、そんな人です。

 

義妹

義妹も、ほぼ義母のコピーです。

後に私を恫喝してきますが、その録音は今でも残っています。

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当時見た景色