主人と死別して、ひとり親になって。~1か月
Episode2
さて、主人との突然のお別れから約2週間、毎日毎日、相当泣きました。睡眠もほぼとれず、フラフラでした。
それでも感謝したのは、私のとっても元気な母がずっと子ども達の面倒と、家の事を手伝ってくれたこと。
主人の仕事に関係する事、葬儀や、役所での手続き、子ども達の学校の事、私はとりあえず目の前にあるものを処理するのが精いっぱいでしたが、倒れている訳にもいかず、当時はただただ淡々と対応するしかない毎日でした。
子ども達の小学校・幼稚園
誰がどうやって、いつ連絡をしたかはすっかり記憶にありませんが、葬儀は遠方であったにもかかわらず、多くの関係者の皆様が、いらして下さいました。
その節は本当にありがとうございました。
当時、求められて学校へ何かの書類を提出したかどうかは、すっかり記憶にありませんが、葬儀が終われば、子ども達は特に何もすることがありません。
通常通りの登校に、すぐ戻っていきました。
学校でお友達から、なんて声をかけられたのかは、それぞれいまだ聞いていませんが、優しくしてくれた子もいれば、もしかしたら不憫な事があったかもしれません。
銀行
当然、すべての口座が、相続が完了するまでストップします。
主人は個人事業主だったので、口座がいくつかあり、私も少しは仕事の一部を手伝っていたのですが、すべては把握しておらずこれには相当苦労しました。
それと、古い通帳もいくつか見つかったのですが、すでに銀行自体の名称が変わっていたり、統合されていたりと、そんなこともありましたし、ほぼお金は入っていない通帳だったとしても、対応しないわけにはいきません。
それらの通帳と、公的書類を持って、とりあえず各銀行をひとつづつ回る事になりました。
カード
この頃から(もう少し後だったかもしれません)、各カード会社から支払いの連絡が次々と入ります。
仕事で使っていたカードなども含め、主人は何枚かを所持していたのですが、本人が他界したことにより、基本全て強制退会となります。
各会社によって対応はやや異なりましたが、まとめて請求書を送って欲しいと依頼し、快く対応してくれたところもありましたし、拒否されたところもありました。
会社の方は、とりあえずしばらくはカードなしでも良いのですが、少し困ったのは私が使っていた家族会員のカードでした。
結局、1社の担当の方とお話をし、当時表向きには無職であった私に、本人名義のカードを発行して頂けることになりました。
会社
今思うと、これが一番大変でした。
そして、これが悲劇を生むきっかけとなっていきます。
従業員がいたこと、借り入れが残っていた事、今後の生活があったことで、相当の時間、労力と個人の金銭を使うこととなりましたが、これにより義家族に騙されることになりました。
そして今、義母らは私たち家族がどこに住んでいるのかすら、把握していません。
義家族
私の主人への想いが、悲しくもこうして薄れてしまった理由の一つに、義家族の存在があります。
義父は主人が亡くなる約2年前に他界、当時残されていたのは、義母と義弟、義妹でした。
弟妹は、それぞれ結婚しており、1人ずつ子どもがいました。
義母
義母とは、それまで、まぁいわゆる普通の関係でした。
もともとすごく癖のある人で、見栄っ張り、派手好き、何かにつけて人を説教するようなタイプの、いわゆる意地悪な人でした。
一方義父は口数が少なく、とても優しかった記憶がありますので、私から見たら正反対の人です。
今思えば、主人もこのような母親に育てられたことにより、少し性格や考え方が、歪んでしまっていたように思います。
私は彼女の説教話に、結婚してから何度となく悩まされており、一時は精神的に病みそうな時もありました。
しかも内容は、主人(自分にとっては息子)が、自分が思うように行動しないとか、仕事のこととか、それをまるで私が悪いかの如く、長いときは1時間以上まくしたてるのです。
いま冷静に考えると、モラハラっていうのですね?
当時はまだガラケー時代だったのと、3人の子育て追われ、情報を入手する手段がなかったので、全く知らずに耐えるだけの日々でした。
それは主人も知るところでありましたが、彼も私の知らないところで、たぶん同じ思いをしてきたのだと思います。
庇えば庇うほど、また私に矛先が向くのを知ってるからか、もう慣れっこになっていたのか、主人もまた私の愚痴を聞いて聞かないふりをし、
そして私もその場に出遭わない方法を学んでいったのか、常に義母のご機嫌をとる毎日となっていました。
普通だったら合わなければいいのだと思いますが、もともと主人の実家でしていた事業と、主人の事業の一部が関係していたので、切っても切り離せず、そこは非常に厄介な点でありました。
私自身も、自分で決めて嫁いだわけですし、子どももいましたので、取りあえず耐えるしかないと腹をくくり、なんとか日々の生活を過ごしていました。
その甲斐あってか、結婚して10年過ぎ、やっと家族の一員と認められるようになったころ、主人が急逝し、その関係は一気に逆戻り。
そしてさらには、攻撃を受けることとなりました。
義弟
義弟はいわゆる、ドクターと呼ばれる人です。
一般的には賢い人なのですが、打算的で、キレやすい。その前に"ズル"がつくタイプです。
実家のテーブルをひっくり返したり、壁に穴をあけたり、婚約破棄をしたり、そんな人です。
義妹
義妹も、ほぼ義母のコピーです。
後に私を恫喝してきますが、その録音は今でも残っています。
主人と死別して、ひとり親になって。~2週間
Episode1
結婚して約10年、色々とありましたが、ある日突然主人とお別れをする事になりました。
昨日まで元気だったのに、普通に会話をしていたのに、気づいた時には息がありませんでした。享年40歳でした。
それまで予兆もなければ、変わった点も、何もありませんでした。
そして私は、小学生2人、幼稚園生1人のシングルマザーに。。。
あの日から約12年、本当に辛く苦しい日々をずっと送ることになりました。
義家族にも裏切られ、すべてを奪われ、子ども達には本当にかわいそうな思いを沢山させてしまいました。
表では笑っていても、楽しんでいる様子をSNSに投稿しても、あの日から1日たりとも、心から平穏に思える日はありませんでしたし、今でもフラッシュバックに苦しみ、全く前向きに生きることは未だに出来ていません。
他人から見ると、『いまだに主人の事を忘れられていない。』とか、『悲劇のヒロインをずっと演じてる。』とか、ある意味興味のまなざしを感じることもあります。
でも、そうではないのです。
悲しいことですが、やはり12年も逢っていない人、もうだいぶ私の彼に対する記憶は上塗りされています。
しかも、亡くなった事より、そのあとの毎日のことが本当に辛く悩ましいものだったので、
『亡くなった事への悲しみの記憶』<『亡くなった後に感じた恐怖や苦しみの記憶』
となっていて、今悩まされているのは、後者の記憶からの支配です。
子ども達は何とか元気に、道を外れることなく育ってくれたのは、幸せな限りですが、今度は子ども達が巣立って行ってしまった後の自分の将来も、今は、不安でたまりません。
そしていま、義家族との新たな問題が発生し、また少し前から考えていた『死別親家庭の子ども達支援』プロジェクトを始めたいとも考え、ブログを始めました。
当日の事
主人が亡くなった当日の事は、よく覚えているような、よく覚えていないような。
自宅で主人の異変に気づき、とっさに人工呼吸をしながら、長子に救急車を呼んでもらい、病院に行き、死亡宣告を聞き、警察に行き事情を聞かれ、家に戻り、警察の現場検証があり、、、
時間軸と、どこで誰がどうやってみんなに連絡をしたのかなどの詳細は全く覚えていませんが、気づけば父と母も隣県から駆けつけてきてくれていて、一緒に泣いていました。
あまりの突然の出来事に、私はただただ泣く事しかできずに、その日は過ぎ去っていきました。
そしてこの後起こる数々の辛い出来事を、その時は知る由もなく、純粋に心から主人の死を悲しみ、涙を流し、何度も感謝の気持ちを冷たくなった主人に伝えたのでした。
葬儀の日まで
業者さんは、義母のすすめもあり、その2年前に主人の父が亡くなったときにお世話になった葬儀屋さんに、お願いすることにしました。
と言うか、私はほぼパニック状態で、また主人は従業員を抱える自営業者でもあったので、そちらの対応もしなければならず、色々と調べたり決めたりする余裕がなかったのが、正直なところです。
しかしこれは今思えば、本当に無駄な事ばかりでした。
場所も家から車で40分くらい離れていましたし、お花、お返しなど、何もわかないまま、そして義母の見栄もあり、結局数百万円の葬儀を盛大に行うこととなりました。
子ども達
子ども達3人のうち、上の子2人はある程度状況を理解し、泣きじゃくっていたものの、下の子はまだよく"死"と言うものを理解できていなかったようで、私が泣いているから、悲しんでいると言った感じだったと、何となく記憶しています。
当時幸いにも、まだ60代だった私のとっても元気な母が、しばらくの間は泊まってくれることになったので、子ども達の事はほぼお任せし、私は主人の仕事の方の対応をする事になりました。
役所での手続き
その時まで、ひとり親がどういうものか、そう言えば考えたことがなかったことに、初めて気づきます。
そして自分自身が突然そうなり、役所に手続きに行ったものの、何をどうすればいいのか全く理解が出来ていません。
子ども手当の一覧等の説明書きの紙を渡されましたが、自分がどれに該当しているのかも分かりません。
死亡届を提出した後、子ども関係の部署に行き、言われるがままに、膨大な数の3人分の書類を記入する事に。
そしてショックだったのは、そこで、『生活保護を申請しますか?』と言われたこと。
役所の人にしたら、シングルマザー=生活保護なのかな?と。
また今でこそ慣れっこになりましたが、そこではこれまで何度となく、必要書類を提出する為に伺うたびに、『養育費はもらっていますか?』と聞かれること。
そう、そもそも母子家庭への手当は、戦後に戦争で父親を亡くした家庭の子ども達を想定してつくられたもの。
現代では、『選択的シングルマザー』『別姓の為のペーパー離婚』『卒婚』など、少し理解しがたい方たちも存在しており、一方私たちと同じく死別に悲しむ親子が存在していて、その方々と同じくシングルマザー扱いされるのは、こうして時間がたった今でも、不快に感じるのは、単に捨てきれない私のプライドなのか。
そんなこんなで、実際に、主人の死を純粋に悲しめたのは、当日のみ。。。
この後、次々と手続きや問題が発生します。
そして、死亡届を提出すると、さらに色々な事実を知ることになるのでした。
〈子ども達が小さいころに作ったお弁当〉
現代のひとり親家庭制度とは。そして子ども達の教育問題。
現代の家族のかたち
生活の多様化により、現代では”ひとり親家庭”は以前に比べ、普通によく見かけるようになりました。
調査によると、令和元年の年間の婚姻件数は59万9007件、離婚件数は20万8496件。
この数字には全ての年代が含まれているそうで、単純に3組に1組が離婚したとは計算できないようですが、それでもその数は決して少なくはなく、離婚も現代の一つのライフスタイルの様になってきているように感じます。
また、昨今では”選択的シングルマザー(未婚出産)”、”夫婦別姓の為のペーパー離婚”、”卒婚”など、希望してひとり親家庭になるケースも増えているようです。
一方、父親または母親との死別が原因により、ひとり親家庭となってしまう家庭が、世の中には一定数存在しています。
主には、病気(長期・短期闘病)、怪我、事故(過失・貰い)、天災、事件、自死など。
こちらは子どもにとっても、親にとっても、不可抗力によってもたらされた家族の形となります。
死別ひとり親家庭になると
さて、死別という形でひとり親家庭になると、その後残された家族がどのようになっていくのか、想像したことはありますでしょうか?
人が一人亡くなると、その後とても煩雑な手続きや対応が必要になってきます。
一般的には、役所での各手続き、葬儀の手配、相続(銀行での手続きや、確定申告、不動産なども含む)、保険関係、故人の会社や仕事関係の対応 等になるかと思いますが、子どもがまだ在学中の場合、ひとり親関係の手続き、学校関係、今後の生活設計、残された親の仕事、子ども達の心のケア、進学や奨学金など教育に関連する事など、すべてを残された家族が担うことになります。
特に教育に関しては、大きく想いを変えなければいけないケースも多々出てくるように思います。
死別したひとり親家庭に関しては、ほぼ全く実態の調査が存在せず、その数、その後の生活など全くデータがありませんので、正確なことは何一つ分かっていませんが、同じ目線で12年間生活をしてきて思うのは、やはり両親がそろっている家庭と同じようにはいかない、行き場のない想いが様々な局面で出てくるということです。
教育資金に関しても、決して充分でないケースもあります。
子どもの成長と進学問題
子供の成長と共に変化する心の問題も、片親では対応できないことばかりですし、離別とは違い相談相手すらこの世に存在せず、死別した時点よりも、その後の生活の中での苦労の方がずっと大きいようにも思います。
子ども達も、本来進学を希望していても、その進学先の変更や、また家庭事情から断念する事もあるでしょうし、現代の奨学金制度も手続きが複雑であったり、借りても確実に返せるような職業に必ずしも就けるとは限らない世の中となってしまったので、躊躇するケースも出てきているように思います。
このように、死別ひとり親家庭の子ども達は、一般的な家庭に比べて、進学に関しても多くの悩みを抱えていることは確かです。
親との死別を幼少期に経験し、心に悲しみを抱える子供たちに、せめて充分な教育環境をと望むばかりですが、現在のひとり親家庭制度はその理由に区別がなく、離別でひとり親になったケースと同じ扱いとなります。
この時代、多様化を求めるのは自由だとは思いますが、メディアを使ってペーパー離婚をしたことを誇らしく公表して幸せそうにしている家族と、壮絶な死別を経験した家族が、どちらも同じカテゴリーに属すことになるのは、私はやはり疑問を持たざるを得ません。
子どもの夢を応援したい
そうやってひとり親になってしまった子供たちは、場合によっては夢をあきらめなければいけない事もあります。
未来ある子ども達が、そして頑張って独りで子育てをする親が、少しでも生きやすい世の中になってほしいと、私たちの経験を情報開示することで何か役に立てたらいいと、本日も奮闘中です。
大切な家族を失い、『ひとり親家庭』になると言うこと。
はじめまして
在学中の子ども達3人を育てる、死別シングルマザーです。
我が家のケース
その日まで、まさか自分がひとり親家庭になるなんて、当然ですが微塵も思っておりませんでした。
子育てに翻弄されながらも、ごく普通の生活をしていた中、突然主人が他界してしまったのです。享年40歳、原因は突然死でした。
あまりにも突然の出来事でしたので、当然何をしたらいいのか、どうしたらいいのか全く分からず、小さい子供たちを前に、当時はただただ泣く事しかできませんでした。
それでも現実はとても厳しいもので、この後様々な問題、苦しみが次々とやってきます。
このブログでは、私がずっと口を閉ざしていた、家族との問題、経済的な事、死別ひとり親だからこその問題、子育ての事、を綴っていきたいと思います。
そしてここから発信された情報が、同じような境遇で悩む家族に届くよう、少しでも私たち家族の経験が何かの役に立つよう、また世の中のみなさまの理解が深まるよう望んでいます。